千原せいじさんの炎上騒動――ネットを使っている人なら、一度は目にしたことがあると思います。
あの「いじめ発言」をきっかけに大きな批判を浴び、ラジオ番組も終了。
いまや「消えた」と言われるほど、テレビやメディアで見かけなくなりました。
でも、せいじさんといえば“豪快キャラ”や“人情味あふれる芸人”という印象を持っていた人も多いはず。
なぜここまで厳しい状況になってしまったのか――今回はその理由を整理しつつ、私の思いも少し書いてみたいと思います。
炎上のきっかけは「いじめ発言」
発端は、とある番組での不用意な一言。
お前、いじめられっ子やったやろ!
この発言が、いじめを茶化すように聞こえてしまい、多くの視聴者から批判を受けました。
SNSを中心に炎上し、その後も謝罪はなし。
「謝れない」のもまた、人間が持つ煩悩のひとつかもしれませんね。
ラジオ番組の突然終了
KBS京都ラジオで放送されていた『大雲・せいじの坊僧ラジオ』 が2025年8月末で終了。
ファンイベントやグッズ展開まで盛り上がっていた番組でしたが、突然「終了します」とだけ告知されました。
これもまた、“立場にこだわってファンへの説明を省く”という形で、煩悩にとらわれてしまったように見えます。
僧侶としての顔が逆風に
千原せいじさんは天台宗の僧侶でもあります。
本来なら「欲や怒りを手放す」のが僧侶の姿。ところが実際には、発言や態度にその逆の煩悩がにじみ出てしまい、視聴者から「僧侶なのに矛盾している」と厳しく見られてしまいました。
弟・ジュニアの影響も?
かつては「尖ったジュニア」と「兄として緩和するせいじ」という絶妙なバランスが千原兄弟の面白さでした。
ところが、ジュニアが“ご意見番”のポジションを得ていくなかで、せいじさん自身も「上から目線」を真似するように。
「偉そうに見える」というイメージが広がったのも、結局は人間の煩悩が表に出てしまった結果なのかもしれません。
まとめ
私は心霊ものが好きで、YouTube 『せいじんトコ』 をときどき見ていました。
少々高圧的に感じるときもありましたが、それも含めて「本音を語れる、人間味のある芸人さんだな」と思っていたんです。
だからこそ、今回のような発言は本当に残念でした。
さらに、河合ゆうすけさんとのやり取りも見ましたが、あの態度はあまりにも失礼で、見ていて正直気分が悪くなったのは私だけではないでしょう。
同じ芸人の後輩のことを言われスイッチが入ってしまったのかもしれませんが、後日にでも謝罪するべきでしたよね。
せいじさんが「僧侶になる」と言った頃からは、動画は見なくなりました。
芸人としての豪快さと、僧侶としての姿勢――そのギャップに違和感を覚えたから。
せいじさんがもう一度“自分らしさ”を取り戻し、煩悩に振り回されず、本当に誠実な姿勢を示さない限り、芸人としても僧侶としても再起はないと私は思います
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